【音階優先楽譜】 |
●五線譜 ●研精会譜 ●青柳譜 ●栄蔵譜 ●山田流三絃譜 |
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「楽譜に対する考え方」
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[昔 と 今] |
現代では、普通に邦楽を習い始めようとしますと、楽譜とMD・CDやカセットテープレコーダーなどの普及のおかげで、それらをごく当たり前のごとくに利用活用します。むかしでしたら考えられない速度での習得も可能になりました。それらの事柄がごくごく日常の事として定着してきますと、勢い楽譜に書かれている事がすべてと感じて、違う感性に思いを至らせずらくなります。もともとは音符で作曲されたものは、邦楽には無いのです。「…?」とお思いでしょうが、邦楽器の曲は「唄いながら、あるいはその楽器を実際に演奏して」作曲されて来ました。その音楽の中には、理論では無く、日本人の感性が大きく花開いた姿が映っているのです。まず第一にそのことを念頭においてほしいと思います。
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[楽譜の誕生] |
そして、楽譜はそれらの演奏を少しでも伝えるために、その楽器に良かれと思う方法で、意識ある先人が作ってきました。まだ洋楽理論的発想の無い頃から、次はそれが入り始めた頃、そして、それらの理論を使いこなせるようになるころまで、様々な時代に作られてきました。その結果、幾つもの楽譜が存在することにもなります。ですから、それぞれがその時代なり発想なりの良い点を持っております。しかし又、どれもが(五線譜も含む)完全でも有りません。
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[視認性と心理] |
邦楽の楽譜は「初めて習った楽譜が一番見やすい。」のが普通です。そして人は自分が最初に習ったものに対して気持ちが入り込み「えこ贔屓」という感情が心情を支配します。この心理は冷静に物事を見る心を失わせます。私が「邦楽を如何にして広く大勢の人に携わってもらうか」で悩んでいたころ、最初に打ち向かわなくてはならなかったのがその「えこ贔屓」してしまう感情でした。洋楽にもかぶれていた私は、まず最初に、「広めるには、その頃出始めたカセットテープレコーダーと楽譜を積極的に用いたら」と考えました。当然、自家に伝わる楽譜を発想ます。しかし、時代は「イロハ」では無く、「五十音」へと変わっていたので、「イロハ……」で出来ている自家の楽譜では、自分自身を含め、公平に考えれば、すでに…例…「ウ」と「ラ」はどちらが前の方の文字だかすぐには判別出来なくなっていたのです。ですから「普遍性」ということを考えた時、それは誠に残念ながら「不適切」と考えざるを得ません。その時点から、現存するすべての楽譜との格闘が始まります。冷静に楽譜を考えるためには、自身がその楽譜に馴れなくてはなりません。
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[開発に至るいきさつ] |
楽譜のいろいろを前述しましたが、そこでまず、それらすべてに馴れて演奏できるようにしました。習い初めの人の心理を考慮しながら…。その際「なるほど、それぞれ全くすばらしい」と感じる所と、「んーーーーん」となるところを沢山感じながら練習しました。そして「この楽譜ではこの所がこうだといいのに」とか「こちらではああだと…」など、色々な楽譜を知ってみると「やはり自家のものに、えこ贔屓の心理」が入っていたのがわかったり、反対にそれぞれの楽譜を使用している人の気持ちも理解出来るような気がしました。そして、これはどうしても「良い発想」を沢山取り入れ、「良くない」と思われる点をなくした楽譜を作らざるを得ないと考えるようになります。
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