杵徳譜とは
心理的にも配慮されて開発された楽譜です。
8年の開発歳月、その後も10年以上の臨床テストを経て現在に至っております。
長唄の楽譜には現在色々な種類の楽譜があります。
それぞれ考えるスタンスの違いが幾つもの楽譜となって伝わってきました。そのどれもが三味線音楽を残すため、何とかわかりやすく演奏出来るようにと工夫したものです。体系的には大きく分けてふたとおりです。
ひとつは「音階」を主体に考えられて作られました。今ひとつは「ポジション」…勘所…を主体として考えられました。ほかにも有りますが、代表的な譜を幾つか記します。これだけ沢山の楽譜が有ると言うのも繁雑ですが、沢山出来たのにはそれなりの理由が有ったのです。
「音階」と「ポジション」にはそれぞれに大変大きな優位性を持っています。ところが、良い点が弱点にもなるのが面白いところです。どう違うのかは後述します。
ポジション優先楽譜
- 杵屋数字譜
- 杵家・赤譜(横三線譜
- 杵勝譜イロハ…(唄には音階譜併用)
- 佐門譜イロハ…
- 杵徳譜(新譜&旧イロハ…)
- 坂本数字譜(地唄)
音階優先楽譜
- 五線譜
- 研精会譜
- 青柳譜
- 栄蔵譜
- 山田流三絃譜
楽譜に対する考え方
昔と今
現代では、普通に邦楽を習い始めようとしますと、楽譜とMD・CDやカセットテープレコーダーなどの普及のおかげで、それらをごく当たり前のごとくに利用活用します。むかしでしたら考えられない速度での習得も可能になりました。それらの事柄がごくごく日常の事として定着してきますと、勢い楽譜に書かれている事がすべてと感じて、違う感性に思いを至らせずらくなります。もともとは音符で作曲されたものは、邦楽には無いのです。「…?」とお思いでしょうが、邦楽器の曲は「唄いながら、あるいはその楽器を実際に演奏して」作曲されて来ました。その音楽の中には、理論では無く、日本人の感性が大きく花開いた姿が映っているのです。まず第一にそのことを念頭においてほしいと思います。
楽譜の誕生
そして、楽譜はそれらの演奏を少しでも伝えるために、その楽器に良かれと思う方法で、意識ある先人が作ってきました。まだ洋楽理論的発想の無い頃から、次はそれが入り始めた頃、そして、それらの理論を使いこなせるようになるころまで、様々な時代に作られてきました。その結果、幾つもの楽譜が存在することにもなります。ですから、それぞれがその時代なり発想なりの良い点を持っております。しかし又、どれもが(五線譜も含む)完全でも有りません。
視認性と心理
邦楽の楽譜は「初めて習った楽譜が一番見やすい。」のが普通です。そして人は自分が最初に習ったものに対して気持ちが入り込み「えこ贔屓」という感情が心情を支配します。この心理は冷静に物事を見る心を失わせます。私が「邦楽を如何にして広く大勢の人に携わってもらうか」で悩んでいたころ、最初に打ち向かわなくてはならなかったのがその「えこ贔屓」してしまう感情でした。洋楽にもかぶれていた私は、まず最初に、「広めるには、その頃出始めたカセットテープレコーダーと楽譜を積極的に用いたら」と考えました。当然、自家に伝わる楽譜を発想ます。しかし、時代は「イロハ」では無く、「五十音」へと変わっていたので、「イロハ……」で出来ている自家の楽譜では、自分自身を含め、公平に考えれば、すでに…例…「ウ」と「ラ」はどちらが前の方の文字だかすぐには判別出来なくなっていたのです。ですから「普遍性」ということを考えた時、それは誠に残念ながら「不適切」と考えざるを得ません。その時点から、現存するすべての楽譜との格闘が始まります。冷静に楽譜を考えるためには、自身がその楽譜に馴れなくてはなりません。
開発に至るいきさつ
楽譜のいろいろを前述しましたが、そこでまず、それらすべてに馴れて演奏できるようにしました。習い初めの人の心理を考慮しながら…。その際「なるほど、それぞれ全くすばらしい」と感じる所と、「んーーーーん」となるところを沢山感じながら練習しました。そして「この楽譜ではこの所がこうだといいのに」とか「こちらではああだと…」など、色々な楽譜を知ってみると「やはり自家のものに、えこ贔屓の心理」が入っていたのがわかったり、反対にそれぞれの楽譜を使用している人の気持ちも理解出来るような気がしました。そして、これはどうしても「良い発想」を沢山取り入れ、「良くない」と思われる点をなくした楽譜を作らざるを得ないと考えるようになります。